すみましん/マリ・クレールなコラム

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スローフード的生活 2002年8月号掲載

「不自由な生活のススメ」

 仕事でスローフード協会のWebサイトを制作している。協会のパーティにも出席させていただき三國シェフが作る豆腐フルコースなどを堪能した。
 そもそもスローフード運動は今から15年程前、ローマにマクドナルドの1号店が出来たのをきっかけに始まったと聞く。ファーストフード的な便利さとは違った、不自由な贅沢を楽しむ心のゆとりを持とうじゃないか。一種「粋」の追求だ。食に限らず、そういった意識を持って生活を送ること。それがスローフード的。と、僕は勝手に理解している。
 では、便利なモノに囲まれた生活に慣れきってしまった今のような状況で、どうしたらスローフード的な、ある意味面 倒な暮らしを実践出来るのか?
  例えば、文字通り「便利」が売りなコンビニには決して行かない。急行には乗らず各駅停車で座って通 勤。急行に追い抜かれると、その度に負けたような気分にさせられてしまうが、そのイライラをスローフードな気持ちで克服。Gパンのチャックはジッパーではなくボタン。漏れそうな時、あれほどもどかしいものはない。靴はヒモ靴で。蝶々結びが苦手な僕はすぐにヒモがほどけてしまうのだが、そこはあえてヒモ靴で。家電のリモコンは一切使わない。エアコンはちょっと厄介だが、いちいち椅子を持っていき温度調節するスローフードな心掛け。携帯電話には誰の番号もメモリーしない。いっそ携帯電話は持たない。デジカメとかは使わずにデッサンで風景を描写 。ビデオの録画予約はしない。バーコード予約なんてもってのほかだ。撮りたい番組があったらその時間までに帰宅し録画。ATMは使わずに常に窓口で入出金。銀行印を忘れてわざわざ取りに帰ったり。Suicaは毎回定期入れから出してタッチ・アンド・ゴー。メール交換は伝書鳩を飛ばして……。
  確かに不自由だ。でも、スローフード的な生活の実践者というよりも、これでは単なる変わり者ですね。


東京のタクシー 2002年2月号掲載

午前6時の会話

 タクシーに乗る機会が多い。で、運転手さんから良く話しかけられる。いちいち面 倒なので本当はあまり話しかけられたくないのだが。知り合いは、 「そういう年頃なんだよ」 とアドバイスをくれたが、そういう年頃ってどういう年頃なんだろうか?  
  ちょっと前に乗ったタクシーの運転手さんは気孔師だった。千葉方面 で気孔の学校を開いていて、中国とも交流が深いと言う。そして、その運転手さんが言うには僕は物凄くいい「気」を持っているらしい。刀に例えると名刀正宗くらい、素晴らしいものらしい。
「お客さんが乗って来た時からビンビン感じましたよ」
「お客さんくらい気が強い人にはあまり会いませんね」
と、とにかく僕の「気」を絶賛してくれる。そこまで誉められると悪い気がしない訳で、すっかり僕も上機嫌。
「でもね、お客さんの場合、腎臓が悪いんですよ」
と段々話しの内容が下降していく。
「腎臓が悪いから、そのいい気の流れを遮断しちゃってるんですね」
遮断しちゃったら、いけない。
「今まで、いい所まで行くけど最終的に成功しないってこと良くありませんでした?」
確かにそうだ。そんな気がしてくる。
「それはね、腎臓のせいです」
腎臓を治せばこれからの人生薔薇色なのか?
「そうです。腎臓を治せばこれから何をやってもうまくいきます」
もう、今すぐ治して下さい。
「もし、お時間がありましたら一度ここに来てみて下さい」
と手渡されたものはとある宗教法人のチラシで、結局僕は勧誘されていただけだったことが分り愕然とする。名刀正宗はどうなったんだ!  
  朝イチの飛行機に乗るため、事務所から羽田空港までタクシーに乗った時のこと。元広島東洋カープの達川さんに喋り方が良く似ている運転手さんの人生は波瀾万丈だった。
「5年前に工場を潰しましてね」
といきなりヘビーな感じ。携帯電話の部品を作る工場を営んでいたのだが、発注の多くが中国に流れてしまい倒産。その時点で子供が3人いて、一時は本気で一家心中を考えたという。その時、時間は朝の6時前。出来れば空港までのひとときを快適な睡眠で過ごしたかった。しかし、達川さんの話しは加速していく。
「その時にね、一番下の三女が言うんですよ。お父さん最近笑っていないってね」
子供は宝です。と達川さんは強く主張する。料金メーターにアップリケで作ったお守りみたいなものがぶら下がっていて、そこには「おとうさんがんばって」と刺繍されている。僕は朝の6時前にウルウル来てしまっている。とにかく、三女の笑顔で達川さんは立ち直り、タクシー運転手になることを決意。二種免許を取ることになる。
「でもね、私、若い頃に無茶しましてね。大事なものを失っているんですよ。だから免許取るのも大変で」
大事なもの?もうこれ以上のドラマはいらないです。
「私、左足がないんですよ」
18才の時、バイクの事故で左足を切断してしまったそうだ。その時、毎日のように病院に通 い、自暴自棄になりかけた達川さんを支えてくれたのが今の奥さん。そしてその2人の間に生まれた3人の女の子。料金メーターのアップリケ。  6時半頃、クルマは羽田空港に到着した。その時点で、僕はもうすっかり達川さんの半生にやられてしまっていて
「とにかく、生きていればなんとかなります」
と言葉をかけられてしまい、これから出張なんて気分じゃない。
 でも、 「5200円になります」 と言われ、いつものように 「領収書下さい」 と頼むと、とりあえず現実に戻れた気がしたのでした 。


憧れのビーチボーイズ 2001年10月号掲載

「ビーチボーイズへの第一歩」

あるWebサイトの仕事で、那覇、名護、渡嘉敷島というコースを取材することになった。那覇市内、名護のリゾートホテルと、そこまでは順調に進んだ。最後の渡嘉敷島では、シーカヤック、シュノーケリングといった体験取材を予定していて、まあ、日頃真っ赤な目をしてパソコンと向き合っている僕とはかなり遠い世界だけど、ここが今回のメインイベントだ。これを機会にソリマチみたいなビーチボーイに、なんて結構楽しみにしていた。
  名護のホテルを朝7時に出て、トマリ港までクルマで急ぐ。フェリーが出るのは9時。距離は約50キロほどなのだが、そこに行くには渋滞のひどい那覇市内を抜けないといけない。時間は結構ギリギリだった。助手席に座っていた編集のEさんがすいている車線を走るよう、常に指示を出してくる。
「左が流れてる!」「今度は右!」といった具合。これが結構なストレスになる。ましてやEさんには夕べ泡盛をしこたま飲まされている。慣れない道で急かされながら、なんとか時間には間に合った。
  渡嘉敷島でのガイドをお願いしていたOさんと合流。Oさんは那覇市内でカヤックショップを経営しつつ、離島ツアーのガイドもやっているビーチボーイだ。ところが、真っ黒に日焼けしたOさんの顔がなんだか曇っている。嫌な予感がするなあ、と思っていたらその予感は的中した。沖縄に今朝から台風がやって来ているらしく、渡嘉敷島には行けないと言う。
「フラれちゃいましたね」
ふと、Oさんが言った。Oさんにとっては無意識なのだろうその言葉にヤラれてしまった。さすがビーチボーイ。台風相手にフラれるなんて中々出ないフレーズだ。少なくともデジタル系な僕からはまず出ない。日本人はアメリカ人みたいに台風に女性の名前をつけたりはしないけど、自然の驚異に対する敬意の気持ちには万国共通 するものがあることを教えられたような気がする。
  結局僕たちは予定を変更して東京に戻ることにした。 帰りの機中、僕の頭の中ではつのだ☆ひろの「メリー・ジェーン」がリフレインしていた。ジェーン台風(勝手に僕が名付けた)にフラれて東京に帰っていく空しさを感じながら思った。やっぱり僕はビーチボーイにはなれそうもない。


着メロととうもろこし 2001年4月号掲載

「シンクロナイズドラブ」

去年の秋、i−modeに買い替えてまずハマったのが着メロだった。
それまで愛用していた携帯電話は単音だったので、和音な着メロのリッチな
感じにかなり心を奪われてしまった。
早速、色々な曲をダウンロード。1ヶ月間の上限、10曲分を一気にダウンロードした後、
大きな問題が浮かび上がってきた。
着メロはいわばその人のテーマ曲のようなもの。クリエイターの端くれとして、
センスの光る選曲が必要だ。 そう、周りの人々を思わず唸らせるような……。
昼下がり、打ち合わせの最中に僕の携帯が鳴る。すると、それまでタバコの煙りと
倦怠ムードに支配されていた会議室が一気に和んでいく。
「ああ、なんて素敵な選曲なんだ」
そこにいる全ての人は心を奪われてしまう。こんな曲を選ぶような人だ、
この人に任せればこの仕事は大丈夫。そして、その後の打ち合わせはスムースに運ぶ……。
この完璧な筋書きを実現させるためにも、着メロ選びには慎重を期さなくてはならない。
いまだかつてナイ、飽きナイ、狙い過ぎナイ、という3つのナイを基本に選考に入った。
最終的に10曲の中から2曲の候補が残った。1曲目は「Bitter Sweet Samba」、
オールナイトニッポンのテーマ曲だ。2曲目は「Synchronized Love」、これは円ショップ
武富士のCMソング。どちらも横文字なタイトルなあたりはいい線行っている。
しかし、Bitter Sweetの方は1番目のナイ、いまだかつてナイに引っ掛かるように思えるし、
Synchronized Loveの方は3番目のナイ、狙い過ぎナイに反するように感じる。
2曲を交互に鳴らすこと小一時間、葛藤の末に出した結論は「Synchronized Love」、
武富士のCMソングの方だった。少し狙い過ぎているくらいの方がいい、
今の僕にはそういう所が足りないんだ。自己啓発の意味も込めてそうした。
まずは事務所のみんなに僕のセンスをひけらかす事にした。
次の日、はやる気持ちを抑えながらアシスタントに言う。
「ちょっと、僕の携帯に電話かけてみて」
アシスタントは意味が分からないといった顔をして、事務所の電話に手を伸ばした。
和音で繰り広げられる武富士の音楽が事務所の中に広がる。素晴らしい
プロポーションをしたダンサーたちが目に浮かぶようだった。
「どう?」
頭を小さく揺らしてリズムを取りながらアシスタントに聞いた。
「え? なんですか?」
「いや、この着メロ」
「着メロが何ですか?」
「ほら、武富士の……」
「ああ……」
ああって、この素晴らしい選曲が君には伝わらないのか?
この未熟者! 心の中でアシスタントを叱った。
気を取り直して打ち合わせに向かう。気の小さい僕は、いつも打ち合わせ中は
マナーモードに切り替えているが、和音な武富士を手に入れてからはそんなこと
はしない。打ち合わせ難航→和音な武富士→一気に優勢、という勝利の方程式を
実現させなくてはあれだけ悩んだ意味がない。ところが、そういう時に限って携帯は鳴らない。
祈るようにして待ってみたが中々鳴らない。僕は痺れを切らして携帯を机の上にそれとなく
置いた。誰かが、あっ、それ最新版ですね? みたいに触れてくれればそれでいい。
後は、そうなんですよ買い替えたんで、とか言いながら携帯を操作し、さり気なく
和音な武富士を流す。この作戦で行こう。誰か早く気付いてくれ!
そんな僕の願いも空しく打ち合わせはあっさりと終わってしまった。
みんな忙しいのだ、他人の携帯が最新版だろうがそんなことには構っていられない。
そんな日々が続き、なかなか勝利の方程式を実現できずにいた。
日が経つにつれ着メロへの執着も徐々に薄れていく。
そしてある日、僕の事務所にセールスマンがやって来た。そういう時は、
森さんという坊主頭でコワモテ(というか無気味)なスタッフがいるので、
いつも彼に追い払ってもらうのだが、その日は森さんがいなかった。
仕方なく僕が追い払うことにした。セールスマンは僕を見ると矢継早に話を始める。
今はとうもろこしが買いで、今日中にとうもろこしを買えば大儲け出来るらしい。
いいから、いいからと追い払う僕を気にすることなく、彼は喋り続ける。
新聞の切り抜きや折れ線グラフを見せながら、とうもろこしがいかに有望かを
熱心にまくしたてた。半ば強引にドアを閉めようとした時、携帯がなった。
Synchronized Love! 和音な武富士が僕を救ってくれた。
そう思いながら僕はポケットから携帯を取り出した。すると彼もポケットから携帯を取り出す。
どうも様子がおかしい、僕の携帯は着信していない。和音な武富士は彼の携帯から流れていた。
彼は、はいっ、はいっ、と大きな声で頷き、携帯を切って言った。
「大変です。とうもろこしの枠があと1人になってしまいました!」


電磁波な人々 2001年2月号掲載

「Shall We ダンス?」

「デジタル系のデザイナーの方って、帽子が好きですよね」
クライアント先で必ず言われる言葉だ。僕の帽子好きは学生の時からで、
別にデジ タル系の仕事をしているから被っている訳ではないし、
もちろんまだハゲてもいない (念)。
  打ち合わせの最中にタバコを吸うと
「あっ、やっぱりメンソールですか」
どうやらデジタル系の人たちはメンソールタバコを好んで吸うらしい。
まさか、と 思って周りを見渡すと、事務所にいるクリエイター全員が
メンソールタバコを右手に 挟んでいた(煙)。
僕の事務所に来た人はモニターの上や本棚に所狭しと並べられたフィギアを見て
満 足気に頷く。そう、デジタル系の人たちにとってフィギアやおもちゃは心のオアシス。
特に「限定」「復刻版」という言葉にめっぽう弱く、いつだって踊らされてしまう (病)。
期間限定でペプシのボトルキャップが出回っていた頃、コンビニの店頭で袋を1つ1
つ触り、中身を探っている女の子がいた。彼女も間違いなくデジタル系。僕は思わず
その子にプロポーズしそうになった(惚)。
ライダーカード付き仮面ライダーチップス復刻版が出回った頃、僕たちの主食は
ライ ダーチップスで、事務所にお客さんが来ればライダーチップスを振る舞い、
バイク便 のお兄ちゃんには「御苦労さん」という言葉とともにライダーチップス
をお土産に持 たせた(もちろんライダーカードは抜いてある)。
チップスの食べ過ぎで、片腹に鋭 い差し込みを感じながらマウスを操作する
デザイナーが各地で多発した(噂)。
帽子を被って、メンソールのタバコをふかし、フィギアを持って小躍りしている人が いたら、
その人は間違いなくデジタル系のデザイナー。彼らは1日の大半をMacととも に過ごす。
深夜、作業が佳境にさしかかるとお約束のようにMacがフリーズ。
それま での全作業がふりだしに戻り、絶叫とともにMacをリスタート。
フリーズは忘れた頃 にやって来る。
フリーズ、叫び、フリーズ、叫び、フリーズ、うたたね。
こうしてデジタルクリエイ ターたちの夜は更けていく(朝)。


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