スミマサノリ「月曜日にオジャマシマス」

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歩行器になった。車椅子を経て歩行器で歩いていたハードボイルドなおばさんは数日前に退院したので、僕の退院ももうすぐだと思う。歩行器になった初日は、こんなじゃじゃ馬は乗りこなせないと思ったが、今や完璧に自分の物にしている。腕掛けの下にちょっとしたスペースがあるのだが、今朝、売店で新聞を買った帰りにその隙間に新聞を挟 んでみた。自分なりの工夫である。次はドリンクホルダーをつけてみようかと思いついたけど、いつまでも歩行器に頼る訳にもいけないのでやめといた。歩行器を経て早く杖の段階に行かなくてはいけない。

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相変わらずテレビばかり見ている。病院のテレビを見るには有料のテレビカードを購入しなければならない。1枚1000円で10時間。僕はテレビをつけっ放しじゃないと寝れないので、10時間なんてすぐ経ってしまう。痛い出費である。そもそも、なんで地上波を見るのにお金を払わないといけないのか? 疑問だ。電気代ということだろうか? それにしても高いだろう。出張でビジネスホテルに泊って有料チャンネルを見る時に同じようにテレビカードを購入したりする。あれも大体1000円だ。あ、有料チャンネルと言っても、見るのはもちろんハリウッド映画である。出張先で疲れた夜に「ゴースト 〜ニューヨークの幻〜」などを見て涙するのだ。

嘘だ。

本当はアダルトチャンネルを見るためにテレビカードを買う。だから、テレビカードの自販機がなかなか1000円札を飲み込んでくれないと焦ってしまう。テ レビカードを購入しようとしている姿を一緒に出張に来ている人に見られたら大変である。しかし、神様は意地悪だ。テレビカードの自販機は大抵感度が悪く、 何度も1000円札が吐き出されてしまう。1000円札を裏返してみたり折り目を入れてみたり、何度かやってようやくカードが発行される。病院の自販機も やはり感度が悪いのだが、ここでは焦る必要はない。僕が見ようとしているのは地上波なのだ。

お金を払っているから余計なのかもしれないが、テレビに出ている人たちがキラキラして見える。みんな元気そうだ。眩しいくらいに輝いている。夕方のニュースで気象予報士の木原さんがバク転教室でバク転を習っていた。バク転をする前に眼鏡を外して、バク転が終わったらすぐに眼鏡をかけた。夕方のニュースのお天気コーナーで眼鏡を気にしながらバク転である。木原さんはとてもキラキラしていた。


懐かしい曲を沢山流す番組を見た。昭和から平成にかけて、往年のヒット曲が次から次へと登場する。画面の右上に、その曲がヒットした年が表示される度、自分がその時何才だったのかを計算していた。昭和53年だから8才。ってことは小学校2年生でその頃は川崎に住んでいたんだ、という具合だ。昭和はまだ分かりやすい。しかし、平成に入るとグッと計算が厄介になってしまう。平成3年ってことは、まず昭和63年から昭和45年(僕が生まれた年)を引いてそれに3を足して…、と2段階の計算をこなしてからようやく21才だった事が分かる。脳トレか? 当時の歌を懐かしむための番組なのに、計算ばかりしている。最終的に平成21年から引き算して今から何年前かを割り出して、今の年齢からその数を引くという計算方法に落ち着いた。落ち着いたのだが、ちっとも懐かしむことが出来なかった。


車椅子の話。

もう車椅子は卒業した訳であるが、車椅子に乗っていて気づいたことがある。それはお見舞いに来てくれた人と自分との関係性だ。お見舞いに来てくれるだけで 僕にとってはとても大事な人であることに変わりはないのだが、来てくれた人が僕の車椅子を押してくれる時、その人と僕との関係性が車椅子越しに伝わってく るのだ。車椅子を押してもらっていると、当然相手の姿は見えない。背中で感じる気配で相手の気持ちを想像する。そして、自分にとって相手はどんな人なの か、分かったような気になるのだ。だから、正確に言うと自分と相手との関係性ではなく、自分が相手をどう思っているのか、ということが分かったような気に なるのである。それは一方的な妄想であって、自分が「あ、やっぱりこの人のこと好きだなぁ」と感じたとしても、もしかしたらその人は僕の後ろで舌を出して いるかもしれないのだ。そして、車椅子ごと僕を岸壁から突き落とすかもしれない。

いや、再放送のサスペンスドラマの見過ぎである。
僕の周りにはそんな人はいない。

入院生活が長引くと、どんどん気持ちが捻くれてしまうので、早く退院しないとまずい。



(2009/10/5 住正徳)

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