「どうしたんです? ケンカですか?」 タクシーの中という事を忘れ、電話口の彼女と言い争いになっていた。携帯電話を叩き付けるようにして鞄の中にしまう仕草を見て、運転手が声をかけてきた。 「ええ、彼女とちょっと」 「そうですか。かなり口調が荒れてらっしゃったから」 「すみませんでした…」 「いえいえ、私の事は気になさらずに」 「ついカッとなってしまって…」 「私で良ければお話を聞きますよ」 運転手がバックミラー越しに僕の目をのぞいた。単なる好奇心からではなく、本当に心配で思わず話しかけてしまった。そんな誠実な目をしていた。この人に話せば少しは気持ちが落ち着くかもしれない。家に着くまで、まだ時間はある。 |
「いや、最近、ケンカばかりなんです」 「どうしてまた?」 「うーん、良く分からないんですけど、気付くと口論になっていて」 「何か状況の変化でも?」 「1ヶ月前、プロポーズしました」 「ほう!それはそれは」 「返事は急がないから、まあ、俺のそういう気持ちを分かって欲しい、って」 「それで、彼女さんは?」 「ええ、喜んでくれました」 「それは良かったですね」 「でも、それ以来、さっきみたいにケンカが多くなってしまって」 「なるほど…」 「なんででしょうね?」 「うーん、彼女さんも不安なのかもしれないですね」 「不安?」 「まあ、結婚ともなると、色々と不安なんでしょう」 「だからって、ねぇ、ケンカばかりしてちゃ…」 「思えば…」 「思えば?」 「ただ、傷つけて泣かせた夜もあった事でしょう」 「え? 僕が、ですか?」 「ええ。そんなお客さんでも、誰より彼女さんを愛してる」 「それは、もう」 「さっきのような、深夜の彼女さんの電話」 「はい…」 「さみしい声を聞いて、どうでした?」 「うーん、それほど淋しそうじゃなかったけど…」 「お二人が遠く離れてる、って感じませんでした?」 「遠く離れてる?」 「ほら、二人が遠く離れてる、距離がやけにくやしかったでしょう」 「まあ、顔を合わせて話してれば、ケンカにはなってなかったかも…」 「そうでしょうそうでしょう」 「僕から謝るべきなんですかね?」 「そうですね、それが一番いいと思います」 「何て言って?」 「例えば…」 「例えば?」 「もう二度と放さないよ君の瞳、とか」 「瞳?」 「ええ。そして、僕は君をずっと守っていきたい、と続けるんです」 「え? もう一回プロポーズ?」 「まあ、そうです」 「ケンカしてるのに?」 「これからお二人は同じ時間の中で同じ道を歩まれる訳ですから」 「まあ、結婚すればそうなりますね」 「しっかりと、想い出を刻み込んで…」 「え?」 「だから、想い出刻み込んで!」 「あ、はい」 「今、彼女さんに誓ってください」 「え? 今、ですか?」 「僕を信じていて、と」 「そんな唐突に?」 「その瞳をそらさないで」 「瞳?」 「その笑顔を忘れないで、って」 「ケンカしてたから、笑顔じゃないと思うんですけど」 「そりゃあ、いい事ばかりじゃない事でしょう」 「まあ、現に今もケンカしてる訳ですから」 「涙はもういらない」 「ん?」 「いらないでしょう?」 「まあ、そうですね」 「だって、これからいつも彼女さんは1人じゃないんですから」 「だから、泣くな、と彼女に?」 「そうですそうです」 |
「あ、運転手さん」 「どうかされました?」 「ちょっと、トイレに」 「あ、そうですかそうですか」 「どこかにコンビニでもあったら停まってください」 「もちろんですとも」 「いや、危ないところでした」 「スッキリですか?」 「ええ、お陰様で」 「それは良かったです」 「じゃあ、出してください」 「あ、その前に、コレを」 「え? 僕に?」 「ええ、お客さんがトイレに行ってる間、買っておきました」 「そ、そんな…」 「いいんですよ、気になさらないで」 「なんか、すごく、嬉しいです」 「そんな、缶コーヒーくらいで、オーバーですよ」 「いや、本当にうれしいです」 「冷たい雨の中を」 「え?」 「ですから、冷たい雨の中を傘もささずにお二人、海まで歩いたでしょう?」 「いえ、そういう想い出は、とくに…」 「これからもずっと」 「は、はい」 「そばにいて、愛を贈りたいことでしょう」 「ま、まあ…」 「じゃあ、行きましょう」 「いいですか、お客さん」 「は、はい」 「もう二度と放さない」 「な、なにを、ですか?」 「彼女さんの瞳、をですよ」 「僕は君をずっと守っていく」 「え?」 「ですから、僕は君をずっと守っていく、って」 「彼女に言え、と?」 「そうです」 「これからもずっと、そばにいて」 「…ええ」 「愛を贈りたい事でしょう」 「……まあ」 「愛を贈りたいから」 「……」 「Forever…」 「え?」 「ですから、Forever…」 「おい」 「なんですか?」 「さっきからずっと気になってんだけど」 「どうされました」 「歌詞だろ?」 「歌詞?」 「俺の相談に歌詞で答えてるだろ」 「いえいえ、滅相もない」 「じゃあ、Foreverの後、何て続けようとした!」 「いや、お客さんの気持ちを英語で表してみようと思いまして」 「どうせ、We can get along together、だろ」 「いや、We can get…、along…、together、です」 「歌うな!」 |
「じゃあ、着きましたので料金の方を」 「いくらだ」 「深夜料金ですので、2割増しになりまして、5650円と」 「と?」 「缶コーヒー代220円で、5870円です」 Inspired by「Get Along Together」山根康広 (2008/2/11 住正徳) |